1969年(昭和44年)
株式会社長尾不動産を設立
創業者・長尾剛鶴は建築に造詣が深く、竹中工務店のオーナーより紹介を受けた建築界の巨匠・白井晟一氏の設計理念に共鳴しノアビルの設計に際し全てを委ね、当時設計者の夢を叶えたオーナーとして評価された。
1974年(昭和49年)
ノアビル竣工(施工:竹中工務店、設計:白井晟一)
1974年(昭和49年)、東京・麻布台の中心に位置する飯倉交差点前にノアビルを竣工。
竣工当時より、ノアビルはその特異なインパクトで街の景観そのものに変化を与え、東京・飯倉の新しいランドマークタワーとして注目を集めました。外観下層部は赤レンガで作られ、上層部は硫酸銅仕上げの楕円筒形、内装は窓を少なくし、石で静かな空間を構成し、かつ豊かさを取り入れられています。
建築家・白井晟一氏はベルリン大学で哲学を修め、帰国後の昭和10年頃から建築設計を始め、数々のドイツ住宅建築の伝統を取り入れ、また西洋と東洋の古代、及び、中世の建築様式に潜む造形理念を評価され日本芸術院賞を受賞している。
またノアビルは日本サインデザイン協会より施主としての功績を称えられ、第9回SDA賞・B3金賞を受賞している。
竣工当時より、ノアビルはその特異なインパクトで街の景観そのものに変化を与え、東京・飯倉の新しいランドマークタワーとして注目を集めました。外観下層部は赤レンガで作られ、上層部は硫酸銅仕上げの楕円筒形、内装は窓を少なくし、石で静かな空間を構成し、かつ豊かさを取り入れられています。
建築家・白井晟一氏はベルリン大学で哲学を修め、帰国後の昭和10年頃から建築設計を始め、数々のドイツ住宅建築の伝統を取り入れ、また西洋と東洋の古代、及び、中世の建築様式に潜む造形理念を評価され日本芸術院賞を受賞している。
またノアビルは日本サインデザイン協会より施主としての功績を称えられ、第9回SDA賞・B3金賞を受賞している。
1985年(昭和60年)
赤坂ノアビル竣工(施工:鹿島建設、設計:押野見邦英)
1985年(昭和60年)、赤坂がオフィスエリアへと変貌を遂げようとしつつあるこの時期、赤坂見附駅より程近く外堀通りに面した立地に赤坂ノアビルを竣工。
都心の不整形な敷地に建つファッション・ビルのような赤坂ノアビルは、滑らかな表面を持ったデザインの形態をテーマとすることにより、周囲にある環境から浮き立つオフィスビルとして、人々を魅了しつつ、機能的にも情報化時代に対応できるように、様々な設備上の工夫がなされています。
都心の不整形な敷地に建つファッション・ビルのような赤坂ノアビルは、滑らかな表面を持ったデザインの形態をテーマとすることにより、周囲にある環境から浮き立つオフィスビルとして、人々を魅了しつつ、機能的にも情報化時代に対応できるように、様々な設備上の工夫がなされています。
1985年(昭和60年)
株式会社ノアビルディングに商号変更
赤坂ノアビル竣工に伴い、株式会社ノアビルディングに商号を変更した。